★33年前の文章見つかり再録する

 アトリエの一部をを整理していたら、33年前に掲載されていた文章が見つかった。子供たちが通っていた小学校のPTAの会報「ひまわり」11号(昭和49<1974>年11月26日発行)である。当時PTAの役員をしていて、画家になるために必死だった時期である。
 ちょっと長いがここに再録したい。


 「愚考雑感」
 さる九月半ばの土曜日正午過ぎ、校庭に足を踏み入れると、全児童が下校姿のまま整列しているところにぶっつかった。先生方も立たれている。でもよく見ると学年学級別ではない。何の集会だろうかと先生にお尋ねすると、避難訓練中とのこと。なるほどそういわれて見ると地区別の整列なのだ。
 担当の先生がマイクの前でいろいろ注意され、人数の確認や報告やらがなされている。が、児童の中には隣や前の者と突きあったり私語にふけったりして、十分に注意力を集中しているとは言い難いように私の眼には映った。
 明日は日曜日、太陽が夏の名残を惜しむかのように運動場一杯、初秋の光りを注いでいる。夏休みが終わって二学期にも慣れ始め、運動会への緊張にもちょっと間のある時期の、一週間の張り詰めていた気持ちから解放される土曜日の午後、明日の休みのプランが頭の何処かに姿をあらわし始めている頃である。何処を探しても危機感のわかしようもない状況である。それが現実であり、現実というものである。
 しかしいま、校庭に立っている児童たちの頭の中では、荒れ狂う風雨の中に立っている自分の姿を想像し、児童はその中で起こり得るあらゆる難に対し身をもって避けることを覚え、その日その時のための経験で身を守ることを学習している最中のはずである。現実の児童は何となく時の流れに身を任せているといったふうであった。先生の注意が十分徹底しないで時間がじりじりと過ぎる。時間が長くなれば低学年から次第にだらけてくる。
 この状況では雨と風でびしょ濡れになり、帰り道で混乱が起きないだろうか。”台風X号の残した爪あと””下校中の児童をのむ”わたしの頭の中を新聞の活字が通り過ぎる。
 それにしても先生方は大変である。千四百余人の児童を秋晴れの現実の土曜日の状況から、フィクションの暴風雨の世界へ連れ込み、ひとつの行動を取らせなければならないのである。ノンフィクションの世界に立っている児童を危機感を伴った想像の世界へ、そらがいつか現実のものとなるかもしれない日のために、経験として身体に覚えさせなければならないのである。
 児童の大方は生まれてこの方、死ぬかもしれない程の災害に遭ったこともない上に、これから帰宅して明日一日をどのように過ごすかの方に多くの心を動かされていたに違いない。ノンフィクションからフィクションへの切り替えができ難い状況にあるのだ。無理もない。
 児童たちがもう時に身を任せる限界だと思われる頃、教頭先生がマイクを握られ、
「あなたたちは何のために校庭に集まっているのか、知っていますか」
 校庭に一瞬の緊張が走った。
「知っている人は手を挙げなさい」で、前の人が手を挙げるのを見ていたずらをしていた児童も手を挙げて、ほぼ全員知っていることになった。改めていろいろ注意がなされ、地区別に担当先生の引率のもとに校門を出て帰路に向かった。
 わたしはここで現代子どもかたぎを論じるつもりはないし、ましてや先生方に法外な注文をつけるつもりも毛頭ない。ただ、わたしはちょっとしたお互いの努力で、同じことがもっと大きな効果を収めることができるのではないかということである。それは単に避難訓練のみでなく、あらゆる場あらゆる時にいい得るのではないか、そして効果を挙げることができるのではないかと思うのである。
 避難訓練に即したいうと、児童千四百余人が校庭に出てきたとき、頭の中にいつか起きるかも知れないその日のイメージがありありと描かれていないといけない。そのためには、じどうまず先生方がその日の暴雨風に対するイメージが明確でなければならない。それで初めて児童たちにも伝えられる。児童たちは教室を出るとき、すでに秋晴れの土曜日ではなく暴風雨の校庭にとび出してゆく構えになっていて、全体がもっと生き生きしたものとなり、その中で自分の取るべき態度、自ら身を守る行動がおのずと取れるのではないか。そしてもうひとつは、家に帰ったとき、あるいはもっと以前の校門を出たところで、非難訓練が終了してしまっていないだろうか。いくら学校で立派な訓練ができていても、家庭に帰ったあと、親と一緒になって仕上げをやらないと効果は半分だと思う。
 つまり教育という事業は、先生と児童と親(家庭)が明確なイメージをもって、お互いの領分を守り目標に向かっていかなければ効果はあがらない。三者のうちどのひとつが抜けても、この事業は成り立たないし十分な効果は望めない。とても難しい限りである。
 とんでもない分不相応な分野にペンを走らせてしまって、ペンを置く場所を失ってしまったが、話をその土曜日に戻そう。その日の夕食の膳に向かったとき、子どもに避難訓練について訊ねてみた。この頃の子どもは要領がよく、こちらが何を聞きたがっているのか先回りされ、しかるべく尻尾を出さないように、可でもなく不可でもない答えが帰ってきた。先生の話の間、しゃべったりいたずらしたりして聞いていなかったのではないかと追い討ちをかけたが、にんまり笑って、そんなことはないという。でも、わたしの目には、その笑顔の上に水玉をしたたらせながら、暴風の恐ろしさに半べそをかいて震えているもうひとつの顔が、オーバーラップしていくのが映っていた。(終)