2008-01-01から1ヶ月間の記事一覧
OESは、Osaka Esperanto-Societo(大阪エスペラント会)の略号である。 わたしも一応は、いまでもOESの会員である。画家になる少し前に、エスペラントを始めた。辞書を片手にではあるが、チェコの人と文通をするっまでになっていた。だが生業としての…
絵は、寝屋川市桜木町で寝屋川に架かる極楽橋に立って、北側を眺めた風景である。わが家からは、寝屋川の堤防に出るのに、南だったら平池橋、北だったら極楽橋というわけである。 わが寝屋川町立北国民学校へ通うのに、極楽橋を往復渡って通ったのであった。…
上記に引きつづいて。 これからの余生を十分に悔いないように生きるためには、何よりも日々の刻々の時の過ごし方がますます大事なってくる。ここまで生きてきて中学生のようで面映く恥ずかしいが、時間割を設定して、毎日少しずつでもやりこなして、蓄積して…
ご夫婦共に京都美大の後輩で(わたしは中退だが)、二人でわたしなどと平和や民主主義、人権を守る運動にも参加・活動し、大阪府美術家協会創立にも尽力され、作品制作で生業としている仲間の奥さんのほうと、昨夜電話で一時間余り話した。 互いに加齢がすす…
寝屋川市は、魚の鰈(かれい)や鱏(えい)に似た地形をしている。その尾びれにあたる部分に広い芝生広場があり、その一部に児童遊戯場がある。尾びれの部分は、門真市・大東市・四條畷市に接している。 府立の南寝屋川高校も尾びれの付け根の部分に建ってい…
寝屋川に架かる平池橋から市駅の方向を望む図である。奥の大きな建物が、アドバンス2号館であり、右の黒い屋根の建物が消費者センター。 この絵が、「こだま」に掲載し始めた最初の絵である。 平池橋より北に300m余くらいのところに極楽橋があり、その…
枚方交野寝屋川線が、ほぼ寝屋川市の中央部を東西に横断する。東から走ってきて寝屋川を渡ってさらに友呂岐水路を渡るとき、銀座橋となる。 わたしたちの小さいときは、用水と悪水の二本の水路であったが、友呂岐水路として一本に整備され、水路沿いには緑地…
市美術協会展が今日で終わった。搬出に出かける。午前中降っていた雨も、午後にはあがった。 従兄の井上俊夫氏(第7回H氏賞受賞の詩人)が来場。観てもらって後に、コーヒー店でしばし歓談した。 秋以降年末までに、中国従軍兵士としての体験をもとに、戦…
天気予報では雪になるとのことであった。しかし、曇っていて冷えたとはいえ、雪は降らなかった。 午前中は、行きつけの病院で採血と肺のCT検査があり、済ませて枚方まで出て、筆・絵具など画材を購入した。 午後は開催中の市美術協会展の当番だったので、外…
大阪府道19号線は、起点を茨木市中穂積、終点を寝屋川市石津元町に置き、淀川を横切るとき、淀川新橋となる。 絵の奥が茨木市、淀川をはさんで手前は寝屋川市、橋から右側(つまり北側)に河川敷公園が広がる。 橋の影に興味がわき、春先の穏やかな日に取…
今日から23日(水)までの予定で、寝屋川市美術協会展が始まった。昨日搬入・飾付け作業が会場の市立市民ギャラリーで行われた。わたしは、『鳩群れる』と題したM20号を出品した。 制作が、大阪美術九条の会美術展と重なり、いつものことながら大変だった。…
郊外の深夜コンビニエンスストアで 刃渡り25センチの出刃包丁を持った少年Aが 店員を脅し金を要求して 抵抗された末に定員の下腹を出刃包丁で めった突きしてわずかな金を奪い逃走した 他に客がいなかったその店のテレビに イラクで掃討作戦中の 自動小銃…
「こだま」250号が届けられた。 この絵は、寝屋川市の中部にある初本町公園に建っている「平和の塔」の絵である。この塔は、寝屋川市が市制施行40年を記念して、平成3年に幸福と平和を願うシンボルとして建立された。 当時、ひろく市内外から塔のデザ…
明日8日から12日まで開催の「大阪美術9条の会美術展」の搬入が、今日午前中に会場の薬業年金会館ギャラリー(大阪市・谷町六丁目)で行われるので、20号の『二羽の鳩』を出品するため、雨降る中を搬入に出かけた。新作の別の20号を出品する予定だった…
まずまずの正月だった。 正月の天候は荒れ模様だということだったが、気温は少し低めながら、荒れ模様というほどのことはなかった(わたしの小さい頃は、木枯らしも吹いてもっと寒かった)。北のほうの山では、なだれで命を落とした人がいた模様で、早々気の…
恭賀新年 2008年元旦 ] 「今年も精一杯、何事も」をモットーに、今年一年毎日を大事にすごしたい。 『偽』などという字を当てなければならないほど、わが国はおかしなことになっている。 多くの国民の願いや希望を切り捨てて、一部の特権にすがる人々の…