2007-01-01から1年間の記事一覧

★新しい年へ

今年も今日で終わり、新しい年がやってくる。 わたしの今年の出来事で一番目は、大阪府美術家協会の府美協展に出品した『核の冬の朝』(F100)に挑戦し描きあげたこと。これが「核の冬シリーズ」に繋がって、ライフワークになればいいのだが。是非そうし…

★アクセスが3000に達する

あわただしく年が改まろうとしている。今年のわが国のイメージの一字は、「偽」だそうである。テレビを見ていても、大の男が揃って頭を下げる姿が毎日のように映し出される有様で、さもありなんである。政治から老舗の店舗、企業まで、まったく困ったもの。 …

★またまた谷ひろしと吉田清治二人展・阪本雅信の巻き

18日、枚方市民ギャラリーに谷ひろしと吉田清治二人展を観に行った話は三日にわたり綴り終えた。その18日の会場で谷氏と歓談中に、「ガシン」こと阪本雅信氏が来場されたのだった。 阪本氏は大阪市立高校の一年先輩で、ゴシック会、ゴシック展の仲間であ…

★谷ひろしと吉田清治二人展を観る③

クラルテの人形芝居をすべて観ているわけではないが、観た以上は、演出について、特に舞台装置・美術、その他についての批評・感想を清ちゃんに手紙で送ることにしていた。しかしわたしの手紙に対する反応は一度もなかった。会う機会がゴシック会やゴシック展…

★谷ひろしと吉田清治二人展を観る➁

1996年5月3日吉田清治は旅立った。 かかり付けの病院で膵臓に影があるとの診断を受け、確か3月11日だったかに大きな病院で見て診てもらうべく、高校同期の医師が勤める病院で膵臓の生検をしてもらった。その結果としかいいようがないが、膵液が体内…

★谷ひろしと吉田清治二人展を観る➀

枚方市立市民ギャラリーで開催されている「京の夢・大阪の夢 人形劇の夢を求め続けた二人展・谷ひろし・吉田清治の世界」を観た。主催が「枚方市」であるのがちょっと驚きである。 当然のことながら、会場は人形でいっぱいである。谷ひろしと吉田清治は両極に…

★「平和を願う2007寝屋川美術展」終わる

平和を願う寝屋川美術展実行委員会が主催、大阪美術家革新懇話会が作品を提供・協賛した「平和を願う2007寝屋川美術展」(今年が2回目)が、12月7日(金)から12日(水)まで寝屋川市立市民ギャラリーで開催、終了した。 雨模様の日などもあったが…

★今はなくなったもの

上の記事を受けて、わたしが育ちいまも住んでいるわが町内に、昔あったが今はなくなったものがあるのを思い出した。 駄菓子屋、いくらも離れていない狭い範囲に三軒もあった。そのうち一軒は、塩、そして醤油、酒も量り売りしてくれていた。お菓子は、ガラス…

★「寝屋川市駅高架工事中」

右の絵は、京阪本線寝屋川市駅が高架工事中の2001年3月初め頃の取材によるもので、市駅の東側線路沿いの通りを北へ150mばかり行ったところで駅の方向へ振り返った図である。「こだま」2001年4月号(No.223)掲載分である。*1 中央奥が駅…

★「茜空の鳩たち」

駅前で いまの市政をなじり 明日の国政を憂い マイクを握って 市民に訴えている 人たちがいる 新しい年に希望を託して 災い多かった年を送って 大きな太陽が 赤々と 西に傾いてゆく 自衛隊海外派兵延長の理不尽を 声高に訴えたとき 気忙しく群がっていた 鳩…

★「寝屋川市駅前にて」

寝屋川市職員労働組合機関誌「こだま」2004年7月号(No.236)に掲載された、駅西側の小さな広場で取材しての絵である。何処ででも見られる鳩の群れの図だ。鳩は他の鳥と違って人への警戒心が希薄である。長い経験で、人は危害を加えないと認識し…

★「 生駒山・飯盛山を望む」

この絵*1は、京阪電車で「寝屋川市駅」と「萱島」の間を通過する際、東側の車窓から見える風景である。右側の遠景の山が生駒山、左側の近景の山が飯盛山である。 生駒山については、20日付日記参照のこと。 飯盛山は、四條畷市・大東市の東部丘陵地帯に位…

★大忙しの一週間

18日は、従兄の奥さんの忌明けの法要があり出席した。久し振りに従兄弟たちと歓談した。幼かった頃の思い出や互いの親父の思い出に花が咲いた。 19日夜は、寝屋川市人権文化課と寝屋川市原水爆禁止協議会との恒例の懇談会が開かれ、協議会の会長として出…

★「生駒山を望む」

京阪高架線の下から寝屋川車庫越しに(木田元宮二丁目にて)生駒山と左手前に飯盛山の半分が見える図である。絵としてはちょとどうかと思れる。が、それでもしっかりリアル感を出して、こんなところから生駒山を望む一角もあるとの取材報告のようなつもりで…

★「打上治水緑地公園」

打上治水緑地は、洪水のときに寝屋川と打上川のふたつの河川の流量を調整するために、大阪府がつくった施設で、1996年(平成8年)から都市公園として、寝屋川市が大阪府から占用を受けて、市民の憩の場とし利用されている。 芝生広場は、12,000平…

★「大谷池(高宮あさひ丘)にて」

15日に書いた寝屋川市の成立ちでいうと、大谷池は豊野地区、わたしは友呂岐地区で育ったので、余り馴染みがない池ではある。しかし馴染みのあるところばかり取材していては偏るので、市内をなるだけ万遍にと思っている。そこである日寝屋川市の地図を広げ…

「友呂岐(ともろぎ)」あれこれ 

寝屋川市は1943年(昭和18年)に、九箇荘町、豊野村、寝屋川村、友呂岐村の一町三村が合併して寝屋川町として町制を引き、1951年(昭和26年)に人口が3万人を超えたというので寝屋川市になった。1961年(昭和36年)隣の水本村と合併し現…

★「友呂岐緑地にて」

友呂岐緑地は、寝屋川に併走して流れていた二十箇所用水路と友呂岐悪水路を一本化して緑地公園として整備された緑道で、桜木町から京阪線萱島駅まで3.5kmあり、38,230平方メートルの広さがある由。桜の季節には花見で賑わう。梅雨の晴れ間を3.5mを…

★アクセス数が2000を超える

本日、「午後のアトリエから」開設以来95日目、日記をつけた日数49日でアクセス数が2000を越えた。1900を超えたのが11月11日。 どんな方が「午後のアトリエから」を訪問してくださっているのか、解らないのがもどかしい。訪問くださった方々…

★爺の願い*1

大阪府指定の天然記念物の国松むら春日神社の椎の木よ 樹齢四百年余りというあなたは、今日までの歳月、とても沢山の光景を見てもきたしいろいろなことも聞いてもこられたでしょうね。今あるわが国の基になっているものが何であるかをしいかりと見据えてもこ…

★「こだま」誌届く

2007年11月号(№249)の「こだま」*1が届けられた。組合の定期大会があり遅くなったとのこと(通常は10月号)。 「こだま」の裏表紙に、毎号(季刊)、絵(寝屋川市内の風景)と文章(詩)を掲載してもらっている。 「こだま」とのお付き合いは、…

★ブログを始めて三ヶ月 

8月12日からブログ「午後のアトリエから」を始めたので、今日で三ヶ月経ったことになる。その間、日記を記した日が47日、ほぼ二日に一度である。多忙や体調などのために休んだことがしばしばあるので、もしやこまめにアクセスしていただいた方には申し…

★座席を譲られる

今夜、美術家仲間の会合があり、大阪市内へと往復した。帰りの京阪電車に乗ってから最初に止まった駅で、わたしの立っている斜め前の座席が空いた。その前に立っていた中年の女性が、わたしにどうぞお座りくださいという仕種をして座ることをすすめてくださ…

★救援新聞」に作品紹介

今日届いた「救援新聞」11月5日号4ページの「救援美術展への協力作品」欄に、わたしの描いた『山門の秋』(P8号)が掲載されている。8月25日号の紹介に続いてである。紅葉を背景に京都の法然院の山門を描いた作品である。 京都は春もいいが、秋また…

★アクセスしてくださった皆さんへ 

「午後のアトリエから」にアクセスくださった皆さん、こんにちは。こんばんは。 このブログに当初から欠かさず立ち寄っていただいている方(そんな方はおいでにならない?かな)、時折立ち寄っていただいている方、初めてお立ち寄りいただいた方、(何度かお…

★作品『希望』はいまや心象風景

お元気ですか。しばらくです。 早速ですが、『救援新聞』8月25日号8ページ掲載の『希望』(M10号)について*1、いつ、何処で、どんな意図で描かれたかのお尋ねにお答えします。 元は、25年ぐらい前に滋賀県・琵琶湖に取材した時に見た風景でした。…

これからは

大作の発表は、できれば日本アンデパンダン展、関西平和美術展に絞って出品したいと、いまは考えている。

★身軽になること

人生74年、何かといろいろやってきて、今も年甲斐もなくやっている*1。続けている。しかし間違ったことはして来なかった心算だし、悔いもないとはいうものの、あまりにものめり込み過ぎた嫌いがあったか、という思いに駆られる。ここらで身辺整理、いまま…

作品「冤罪の男」(50号)の展示は取りやめ

救援美術展事務局からの事前の連絡では、「冤罪の男」(冤罪日野町事件の阪原弘さんを描いたF50号のわたしの絵)の展示を予定するとのことだったが、三年前に日野町で開催の救援美術展や日本国民救援会全国大会でも展示されたことでもあり、会場の都合で…

★湖東救援美術展に招かれる

[ 10月26日から28日まで、滋賀県東近江市勤労福祉会館にて開催の「湖東救援美術展」に招かれて、26日午後6時30分からのオープニングレセプションに出席した。 滋賀県の日野町事件、京都の長生園事件、大阪のオヤジ狩り事件など関西で支援中の冤罪…