2008-10-01から1ヶ月間の記事一覧

☆救援美術大阪100人展始まる

今日10月30日から11月2日まで大阪グリーン会館で、「救援美術大阪100人展」が開催されるのに際し、午後6時30分からのオープニングレセプションが開かれ出席しました。130人ほどの参加。戸谷茂樹美術展実行委員長(日本国民救援会府本部会長…

☆井上俊夫著『詩集 八十六歳の戦争論』が完成し届く

今日かもがわ出版から、井上俊夫著『詩集 八十六歳の戦争論』が、生前の俊夫氏の配慮通り届けられました。俊夫氏の死去から13日目です。送られた詩集を手にしてみて、俊夫氏とともに完成を喜び合えない悔しさが胸をえぐります。でも、俊夫氏はわたしが担当…

☆アクセスが10,000を超えた

今日の午後11時過ぎに、アクセスカウンターが10,000を超えました。 アクセスしてくださったみなさん、ありがとうございます。 10月12日に9,000を超えたばかりです。9,000台を通過するのがとても早かったです。 年甲斐もなく何かと多忙で、…

☆浮き足立つ

九月に入っても日差しは衰えないが 涼風が立つころになって 浮き立つ気持ちになるのは何故だろう 夏休みの宿題がやりきれていない遠い日の苛立ちが 幾重にも重なって未だに尾を引いているのだろうか それとも あの子に移した気持ちを逡巡したままでの あまり…

☆[寝屋川市内の風景(「こだま」掲載分)]高宮新町にて

寝屋川市職員労働組合機関誌「こだま」(季刊)253(2008年・10月)号が届きました。わたしが描いた(書いた)絵と詩が毎号掲載されています。 この度の絵は、寝屋川市立東小学校附近の、九月初旬のお昼頃の何気ない風景です。いろいろ描き込むことに…

☆H氏賞受賞詩人・井上俊夫氏が逝って

時間が経つほどに、井上俊夫氏の死が、ことばにならない無念さで募ります。 体調を崩しながら、この度の詩集の発行に精力を傾けていた井上俊夫氏の心情を思うとき、その気持ちをあらわす適当なことばが見つからないのです。半月もすれば製本が完成し、詩集を…

☆井上俊夫氏の葬儀に参列

今日17日午前11時からの井上俊夫氏の自宅での葬儀に、親族の一員として参列しました。 こんなにも早くこの日が来るとは思いもしませんでした。奥さんを亡くして丸1年でした。無念のひとことです。 葬儀には、日本現代詩人会会長の大岡信氏の弔辞が代読…

☆反戦の詩人 井上俊夫さん死去(朝日新聞10月16日夕刊記事より転載)

「中国の従軍体験から、戦争に反対する作品を書き続けた詩人、井上俊夫(いのうえ・としお、本名中村俊夫<なかむら・としお>)さんが16日午前2時10分、大阪府寝屋川市の自宅で肺炎のため死去しました。86歳だった。通夜は16日午後7時、葬儀は1…

☆H氏賞受賞詩人の井上俊夫氏、逝く

H氏賞受賞詩人で、従兄の井上俊夫氏が今日午前2時過ぎに、肺炎がもとで死去しました。 刊行を楽しみにしていた、今年晩秋発行予定の『詩集 八十六歳の戦争論』を手にすることなく逝っていまいました。できれば、詩集を手にしたうえに、その評判を十分聞い…

☆アクセスカウンターが9,000を超える

アクセスカウンターが、今日9,000を超えました。 これまでにアクセスいただいた皆さん、ありがとうございました。 取り留めのないブログですが、これからも老いた一人の画家として、世の中の日々の出来事、移り変わりを見、余生の先の行き着くところを探…

☆井上俊夫著「詩集 八十六歳の戦争論」の校正終了

従兄の井上俊夫氏の「詩集 八十六歳の戦争論」の本文に続いて、表紙、扉のゲラ刷り3種が昨日かもがわ出版から届き、その1点を決めて俊夫氏に電話で説明し了解を得て、OKのゲラ刷りを今日かもがわ出版へ返送しました。すでに本文は印刷が始まっていると思…

☆今日はわたしの誕生日

今日10月12日は、わたしの誕生日です。とうとう後期高齢者の仲間入りです。 因みに、わたしが生まれた1933年には、宮沢賢治が病没し、小林多喜二が虐殺されています。また1960年のこの日、社会党委員長であった浅沼稲次郎氏が日比谷公会堂で立会…

☆府美協展始まる

第29回府美協展(大阪府美術家協会)が、大阪市立美術館(天王寺)で今日10月8日(水)から13日(月)までの予定で始まりました。 6日正午から搬入、午後2時から飾りつけをしました。みんなで日本画31点、洋画(水彩、きりえを含む)142点、彫刻3…

☆ねやがわ平和まつり開催

今日午前9時50分より、寝屋川市・打上川治水緑地で、「ねやがわ平和まつり」が開催されました(寝屋川市・寝屋川市教育委員会後援)。 寝屋川市が、1983年に「非核平和都市宣言」を採択して今年で25年周年に当たるのを記念して、「憲法九条を守り子ど…