★ローマ字綴りのこだわり

 今朝、かなりの雨が降りました。それでか、いくらか暑さは和らいだかなという気がしましたが、昼からはやはり暑かったです。
 
 今日はローマ字綴りについての私見を記します。
 わたしは、カンバスに繪を描き終えるとローマ字でサインします。Inoue Keisiと綴ります。Keisi Inoueとか、Inoue Keishiとかは綴りません。
 日本人のわたしがローマ字綴りで名前を書き表すとき、欧米式に名・姓とすることに違和感があり、大方の人が、何の躊躇もなく欧米式に名・姓と綴っておられるのが、わたしには腑に落ちません。わたしは日本人ですから、自分の名前をいったり書いたりするとき、姓・名の順序で表します。表記にローマ字を使用するときも、姓・名という順序で表記するのが当然だと思っています。それが日本の文化の範疇です。わたしはそれにこだわりたいと思っています。
 それに日本の現状では、ヘボン式が氾濫しています。アメリカ長老派教会宣教師で医師のヘボンが、医師・伝道のかたわら、和英・英和辞典の編纂完成の際、ヘボン式ローマ字を作り出すのですが、日本語の音を使い慣れた英語表記で書き表すとき、正確に伝えようとすれば、当然のこと、いわゆるヘボン式になりましょう。当たり前です。しかしそれを日本人がそっくり真似て採用することに、これまた腑に落ちません。日本には五十音図として整理し成ったものがあり、子音の同じものを同行に、韻の同じものを同段にしていて、直音をローマ字なら2音以内で表すというのは、合理的だと思っています。ti をわざわざchi などと綴らねばならないことが、わたしには少し抵抗があり、こだわっています。hu を fu、zi を ji と綴らなければならない理由が、わたしには判りません。なるだけ欧米式に近づく表記にすれば、格好いいと思われてはいないでしょうか。それぞれがそれぞれの思いでやればいいことでしょうけれど、わたしはいわゆるローマ字論者ではありませんが、わたしはこれからもこだわり続けていくでしょう。
 何でも欧米文化の方がすすんでいるとする舶来優位の思想が根底にありはしないのか。異文化をたやすく受け入れていまうのは日本人の良さでもあるが悪でもあり、必要以上に自国の文化を卑下する性格が、ローマ字の記法にも表れていないかと思わざるをえません。そんな小さいことにこだわるなといわれればそれまでですが、如何でしょうか。 
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