★小学校は出ていない


「わたしは小学校を出ていない」というと、みんな怪訝な顔をするが、昭和十五年四月に大阪府北河内郡友呂岐村の村立尋常高等小学校尋常科の一年生として入学し、翌年国民学校令が発令されて友呂岐村立国民学校初等科に編入され、村はその翌年には近隣の他の一町二村とともに合併して寝屋川町となり、学校は寝屋川町立国民学校となった。


ある日、校庭から空を見上げるとどこまでも空は青いまま、
冬日を浴びて翼をきらりB29が飛行機雲を引いてやってきた
ある夜、大阪や神戸の街にB29が焼夷弾の雨を降らせて
あかあかと夜空を焦がして燃え盛る様を
大人に交じって寝屋川の堤防から眺めた
学校の毎日の朝礼では宮城遙拝して「海行かば」を歌い
「日の丸」と「君が代し」はことあるごとに掲げて歌わされた
蝉時雨の中でラジオから流れる玉音放送とやらは
正座して聞いた六年生の胸には確とは届かなかった
戦争は神風が吹くこともなく負けて終わった


その翌年われらの卒業は国民学校のままだった
だからわたしは小学校を出ていないのである


以来六十有余年
中学生で人形劇団造りに参加
学生運動をして大学を中退
あげくに絵描きになって今あるが
またぞろ
小学校の卒業式に
「日の丸」と「君が代」が強制されていると聞けば
名は小学校でも中身は国民学校になってはいないかと
やがては名実ともに国民学校になってしまわないかと
危惧の念を抱かずにはいられない


七十四歳の老人の思い過ごしですめばいいのだが
どうやらいつか来た道を歩み歩まされている気がする