★高校同期会を欠席した

 実は昨日、第56回大阪市立高等学校「四期生同窓会」が開催されました。わたしも同校四期会のメンバーですが、わたしは欠席しました。出席と返事しておいて、間際になって欠席させてほしいでは迷惑を掛けると思い、何かと用が重なりそうだったので、欠席の返事を出しておきました。昨日は0時30分からの開催でしたので、結局出席はかないませんでした。
 56回ということは、高校を卒業して(1952年3月卒)翌年から毎年欠かさず開催してきたということです。全回出席という同期生がいるのかどうかは知りませんが、よく続けてこられたものだと思います。わたしも何回か四期会の幹事を務めたことがあり、正確にはわかりませんが、30回は出席していると思います。卒業時は4クラス200名ぐらいだったと思います。毎年の四期会には、40〜50名くらいの出席があります。
 学校名の大阪市立高等学校がフルネームです。普通は、大阪市立××高等学校というのですが、わが母校は××が創立当時から今に至るまでないままなのです。また、大阪市立なのに枚方市内に立っています。何故なのか。わたしが聞き及んでいるところによれば、戦時下国策に沿った身体壮健な青少年を育てるには(ひ弱な青少年ではなく)、大阪市街地内ではなくて郡部の空気のよいところで育てることが第一だというので、大阪市立だのに府下枚方市中振の丘陵地に中学校(旧制)を建設したのだそうです(1941年)。そして続いて立った中学校が、名前をつけて創立したので、名前を付けそびれたままで、いまい至るというわけです。その間に何度か、名前をつけようとの動きがあったようですが、実らぬままになっています。
 わたしたちは、おおむね昭和8年と9年の早生まれ組です。小学校は旧制の尋常高等小学校に入学し、2年生の時に国民学校に代わり、六年生の夏、戦争が終わります。翌年3月、国民学校のまま卒業して、旧制の中学校に入学しますが、2年生の時に学校制度の編成により(いわゆる六三三制)、中学校を3年制にして義務化し、旧制の中学校を新制の高等学校3年制となりました。わたしたちは、中学2年生になるとき、大阪市立高等学校併設中学部の2年生に編入されることとなりました。それまで男子のみだったのが、次第に男女共学へとすすみます。 
 そんなわけで、わたしたちは、中学1年生はもちろんですが、2年生になっても、3年生になっても、高校1年生まで下級生はいませんでした。高校2年生になって初めて下級生が入学してきました。
 戦後のこの学校編成は、全国規模での出来事なので、全国の高等学校の四期生といえば、みんな同い年であり、似たような経験を積んできていますので、それまで見知らぬものでも、互いに昭和8年生まれであることが判ると、この経験を話して花が咲くことがあります。
 昨日は、どれほど「市立の四期生」が集まって、一年ぶりの話に花を咲かせたのでしょうか。
 なお、全国高等学校野球大会大阪予選が昨日から始まっていて、今日わが母校・大阪市立(正式には「しりつ」ですが、わたしたちは「いちりつ」といっています)高校は、豊中高校と対戦し、7−4で敗退したようです。残念。
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