★思い出すこと、大掃除
昨日の詩に続いて、夏になったので思い出すことの一つに大掃除があります。いまでいう自治会単位で日を決めて、その日は朝から一日中かかってむら中でめいめいの家中の大掃除をするのです。特別の理由がない限り参加しました。その日にできなかった家は、後日特別に実施しなければなりませんでした。
年の一度の大掃除ですから大変です。当時の家の部屋はほとんどが和式ですから、みな畳敷きでした。それで畳の角に、どの部屋のどの位置にあった畳かを識別できるように、墨で小さく書いておき、畳を上げて庭に立てかけて並べ、天日にさらして乾すのです。
その前に、家具類もみんな部屋から出しておきます。押し入れの中のものもみんな出して整理整頓です。
畳を上げた床の一部に床板を取り外しできる所があり、そこから床下を掃除します。この際要らなくなったものを整理して、ゴミとして捨てるのですが、当時は役所からゴミ収集には来ませんでしたので、めいめいの家のゴミは、むらで黙認していたと思われるむら外れの土手の下に捨てにいきました。いま考えると不衛生この上ないことです。しばらくすると腐敗臭が立ちこめていました。普段のゴミももちろんここに捨てていました。しかし適度な腐葉土になる部分もあり、掘り返すとミミズがたくさん成育していまして、魚釣りの餌に事欠きませんでした。
昼過ぎには、わが家では必ずスイカが振る舞われました。
大掃除はおおむね午後3時頃、片付けが始まりますが、片付けるのには、区長(自治会長)さんの点検が必用です。大掃除(衛生掃除)終了証がわたされ、入り口の柱に貼っておくのでした。
畳を上げるときに記しておいたとおり畳を元通り入れて家具を終い、あとの拭き掃除は母の役目で、父と子どもは近くの川へ泳ぎに行くのがわが家の習わしでした。父と泳ぐなど、この日を除いてはないことですので気分が高鳴りました。父はわたしたちが思っていたよりは随分上手に泳いでいました。
家具など元通りに置かれているので、どこがどうということもないのですが、大掃除の結果、確かに昨日までとは違った雰囲気になっているのが判りました。子どもは子どもなりに働いて、心地良い疲れでよく眠れました。クーラーはもちろん、扇風機もない当時です(1940年代頃)。蚊帳の中で団扇で涼を取るのがせいぜいです。
何時の頃から、むら中一斉の大掃除は廃止されてしなくなりました(1965〜6年頃以降か)。子どもの頃の懐かしい思い出です。
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