★「 生駒山・飯盛山を望む」

 この絵*1は、京阪電車で「寝屋川市駅」と「萱島」の間を通過する際、東側の車窓から見える風景である。右側の遠景の山が生駒山、左側の近景の山が飯盛山である。
 生駒山については、20日付日記参照のこと。
 飯盛山は、四條畷市大東市の東部丘陵地帯に位置し、標高314m。1343年(正平3年)楠木正行・弟正時が高師直・師泰と戦って敗れ、弟と刺し違えて戦死した所。楠木正行主祭神として祀られている四条畷神社が山麓にある。
 戦前戦中に大阪・北河内郡一円の小学校(国民学校)で行われていたと思われる、「十一参り」という行事があった。楠木正行が父正成と西国街道の桜井駅(現大阪府三島郡島本町)で今生の別れをした故事に因んだもので、数え年十一歳になると(遅生まれの四年生と早生まれの五年生)学校の行事として参加した。寝屋川町立北国民学校から、四条畷神社に参拝して飯盛山山頂まで登って帰る道程を、徒歩で往復するのである。もう記憶も薄れていて定かでないが、スペアのわらじを用意してわらじで歩いたのだったと思う。天皇に忠義を尽くすことが強制・強調された軍国主義教育の一環であった。
 

*1:水彩紙にアクリル画・原画は24×27cm・印刷は17×19cm・寝屋川市職員労働組合機関誌「こだま」・2003年1月号(No.230)掲載・無断転載お断り