★『友呂岐水路に架かる銀座橋を見る』(「こだま」2002年10月号 No.229)


 枚方交野寝屋川線が、ほぼ寝屋川市の中央部を東西に横断する。東から走ってきて寝屋川を渡ってさらに友呂岐水路を渡るとき、銀座橋となる。
 わたしたちの小さいときは、用水と悪水の二本の水路であったが、友呂岐水路として一本に整備され、水路沿いには緑地公園が設置されている。*1
 画面は南を向いて眺めている。ここより北へ2〜300m上(かみ)で、小さい頃よく泳いだ。学校から帰ると、カバンを放り投げて、ふんどしひとつになってむらなかを走り抜け、寝屋川の堤防から下り坂を一気に走り降りて、勢いをつけて橋から飛び込むのである。七月の初め梅雨が明ける頃から夏休みが終わってしばらくまで、毎日のように泳いだものだった。
 いまは合併して寝屋川市になっているが、当時は水路をはさんで、九箇荘町大利と友呂岐村平池と行政区が違っていて、上(かみ)で泳ぐ平池の子供たちと、下(しも)で泳ぐ大利の子供たちとで集団でたわいない喧嘩をよくしたものだった。それぞれの上級生の指導力や仲間内の結束力がためされ、喧嘩も子供なりに慮って大仰にならない程度をそこそこ測りながらのことだっように思う。でも、結構胸躍らせときめかせ、緊張感が走ったものだった。子供の世界も大きく様変わりしている今日だが、もう65年も70年もの昔の話である。


   *絵は、ケント紙にアクリル絵具で描く。原画は、24X27cm 印刷は、17X19cm       無断転載お断り
  

*1:2007年11月15日のブログ参照のこと