★『水門を望む・桜木町にて』(「こだま」2000年4月号 No.219)*1

naniwanoesi2008-01-27

 絵は、寝屋川市桜木町で寝屋川に架かる極楽橋に立って、北側を眺めた風景である。わが家からは、寝屋川の堤防に出るのに、南だったら平池橋、北だったら極楽橋というわけである。
 わが寝屋川町立北国民学校へ通うのに、極楽橋を往復渡って通ったのであった。極楽橋の上(かみ)に流れを調節するための川幅一杯の樋が設けられていた。樋が下りていると、凡そ3〜4mはあったかと思われる樋の高さまで水が溜まって、それから樋を超えて橋の下をセメントでつくられた広場を流れ、階段状(三段)につくられたところを、音を立てながら落ちて流れていた。で、極楽橋を一名「どんどん」とか「どんどん橋」とかいっていた。
 当時の冬は、いまよりはかなり冷え込んだようであった。樋の近くに氷が張ると、一、二年生だと氷の上に立てるほどの厚さになったこともしばしばあった。寒いといえば、夜は木枯らしが吹いて戸障子が風に吹かれて絶えず音を立てていた。校庭の水溜りが、風に吹かれてできた小波の形もまま凍っていたのを思い出す。ほとんどが、手足に霜焼けあかぎれを切らしていた。
 いまは護岸工事のあおりで樋はなくなり、橋は新しくなった。また絵にあるように、淀川から引いた水をポンプアップして、水門を通して寝屋川に放水している。水量の調整と水質の保持のためである。