★OESの機関誌「la Voĉo」に 「午後のアトリエから」の1月1日の記事が転載される

 OESは、Osaka Esperanto-Societo(大阪エスペラント会)の略号である。
 わたしも一応は、いまでもOESの会員である。画家になる少し前に、エスペラントを始めた。辞書を片手にではあるが、チェコの人と文通をするっまでになっていた。だが生業としての画家になるので必死であった。当然のこと、画家になるのが優先された。結果として次第にエスペラントから遠のいていくことになってしまった。覚え慣れるにはかなりの時間がかかるが、続けて使わない・学習をしないと、たちまち元の木阿弥である。しかしいつかはものにして、日本の民話、特に寝屋川市に伝わる民話・「鉢かづき物語」のエスペラント訳に挑戦したい、エスペラントで詩も書きたいなど思い続けていた。
 しかし気がつけば、浦島太郎ではないがいい歳になってしまった。昨年末にはもうあきらめて、OESを退会しようかと思っていた。2008年の会費を納める時期でもあった。
 今年のもらった年賀状にメールアドレスが記してあった、OESの委員であり、わたしが参加したエスペラント講習会の講師もしていただいたエスランティスティーノ(1月21日のブログ参照)に、早速メールをした。そうしたら、OESの機関誌 La Voĉo( 声という意味)に、一会員からの声として、1月1日のブログを掲載させて欲しいとのことであった。OESの会員としての役割は、皆目果たせていない「変なエスペランティスト」ではあるが、そんなことでお役に立てるならと承諾した。それが、今日届いた La Voĉo 2月号に掲載されている。他に、わたしが寝屋川市美術協会展に出品した紹介記事も掲載されている。感謝したい。
 こうなれば、OESを退会するわけにいかなくなった。先日早速今年の会費を納入した。今度は焦らずゆっくり、親しみながら学習に励もうと思う(笑わないでください)。いやはや、自分でもちょっとあきれ返ってはいるのですが、・・・・・。