★正月明けに思い出すこと(2)

 正月が明けた今頃になって思い出すことの2件目。
 2008年の正月明けの寝屋川市美術協会会員展は、わたしがその年の春の総会で退会することになったので、最後に出品した展覧会となりました。「鳩群れる」(20号)という作品を出品しました。(このブログの2008年1月21日の作品写真参照)。従兄でH氏賞詩人の井上俊夫氏が、この展覧会の最終日(1月23日)に見に行くという電話がありました。今年の秋以降に詩集を出版したい、ついては、表紙のデザインと章毎の挿画を頼みたい、ということでした。
 展覧会を見終わって、ギャラリーのあるビルの地下のコーヒー店で、俊夫氏とコーヒーを飲みながら、パソコンで綴りプリントした30編ほどの出来上がっている詩の原稿を拝見しました。詩集は50編ほどにする予定でいる、詩集のタイトルは、「八十六歳の戦争論」にしたい、といっていました。原稿は預かって帰りました。
 その時、前の年に自転車で転んで鎖骨を折り、ギブスの代わりにゴム状のタスキのようなもので、あまり腕を動かすことがないようにしているが、老齢の所為で折れた骨の治癒のすすみ具合がおそくて困っている、とのことでした。
 わたしは、俊夫氏の詩に匹敵する表紙絵・挿画を描かねばなるまいと、詩を読み進めるほどに思っていました。しかしこれは間違いで、表紙絵や挿画は、詩と匹敵(できたかどうかは別ですが)してはいけないのです。あくまで、黒子に徹しなかればいけないのです。実際に描き始め、俊夫氏に見てもらう内に判っていくのでした。
 鎖骨を折ったとはいえ、その年に86歳になるとはいえ、わたしにはこれまでと変わりないように見えました。が、それからしばらくして、風邪などを引いてなかなか直らず、食欲が落ちて困っているとのこと。いつも、両家の中ほどにあたる、前述のコーヒー店で落ち合って話していたのですが、その後は、俊夫氏の家まで出向いて、描いた絵を見てもらうようになりました。
 だから、元気で会って話したのは、展覧会に来てもらったあの日が最後でした。
 その後は、肺に水がたまりだして、衰弱する一方でした。
 で、結局、発刊された詩集「八十六歳の戦争論」の完成を見ずに、10月16日に帰らぬ人となりました。詩集は、その10日ほどあとに完成したのでした。詩集奥付の発行日は12月8日となっていますけれど・・・・・。
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