★様変わり今昔思い出話(1)

 ここら界隈の正月風景が、わたしの小さいころとは大きく様変わりしています。 
 正月だからと、特別着飾った子どもをほとんど見かけなくなりました。第一、外で子ども同士で遊んでいるのを見かけません。いまの子どもたちは、どこで何をして正月をすごしているのでしょうか。
 わたしたちの小さいころ正月といえば、先ずは昨日までとは一変して、一張羅の服や着物を着せてもらいました。気分も新たになりました。
 それに「凧揚げ」です。「奴凧」が定番でした。新聞紙を3〜4センチほどの幅に切ってつないで5メートルほどにしたのを尻尾よろしく凧に貼り付けて、糸目を調節して、風に向かい走って揚げました。寝屋川の堤防が凧揚げの上々の場所で、何十もの凧が、高く低く揚がっていました。
 父は、凧揚げが好きでした。時折、自分で半畳大ぐらいの長方形の凧を手作りしていました。竹を割って組み合わせ骨組みし、ご飯粒を竹べらを使いまな板の上で潰して作った糊で、和紙(障子紙)を貼りました。霧吹きで紙面を湿らせて、乾くとぴんと張りました。奴凧の糸よりは少し丈夫で太めの糸で揚げるのです。わたしが中学生になったころには、その凧に字や絵を描くようにいわれました。「恒久平和」とか「民主日本」とか、書いた覚えがあります。父は、自分では字が下手で、絵は描けないと思い込んでいるようでした。
 半畳もあれば、風の強い日だと、かなりの力で引っ張ります。軍手をしてしっかり糸を掴んでいたものです。いまでもその感触が手に残っています。
 普段は、忙しくしていた父でしたが、さすが正月は子どものわたしたちの相手をしてくれていたのでしょう。
 いまは、寝屋川の堤防で凧揚げなどできません。ひっきりなしに自動車が走っています。凧を揚げるとすれば、淀川河川敷公園まで行かないとダメです。わが家からだと1.7〜8キロあるでようか。
____________________________